現在、修行僧の看読の場である衆寮として使われている建物は、大正14年、地元出身の傑僧・独峰吾雄老師(戸田吾雄)によって建てられました。
老師は幼少の頃に仏門に入り、徳島県南部の曹洞宗寺院を統轄する浅川の千光寺や、歴史の深い徳島の国分寺に住職した後、曹洞宗議会議長という要職に就き、福島県須賀川の古道場・長禄寺の火災からの復興に尽力していましたが、出身の地元にあったはずの城満寺が全く忘れ去られていることを憂い、復興を発願して、瑩山禅師600回大遠忌を機にこの建物を建立したのです。
旧本堂でもあり、今も薬師如来さまや阿弥陀如来さまが、修行僧たちを導き見守っています。旧本尊の薬師如来さまは、二世・本行玄宗禅師が、熊本県天草で譲り受け、城満寺のご本尊として安位されたものです。